こんにちは。
せき不動産です。
ひろさちや著「学校では教えてくれない宗教の授業」の中の一節です。ちょっと長いかもしれませんが、引用してみましょう。
「日本人は、働くことの原点を忘れて、いつしか『企業の奴隷』や『企業の飼い犬』になってしまったのだと思います。会社に飼い慣らされた家畜同然の『社畜』ということばさえあります。
『売り上げが上がればいい。儲かれば何をやってもいい。自分の会社さえよければ他がどうなろうと構わない』
そういう考え方が、日本の社会では支配的になっています。諸悪の根源は、そこに集約されるんじゃないでしょうか。
昔、雪印食品が、輸入牛肉を国産と偽って、狂牛病対策事業の対象肉として業界団体に買い取らせていました。また、大手の食品会社や総合商社、あるいは全農など一流企業といわれるところが、鶏肉や豚肉の産地を偽装するなど、消費者を欺く行為を平然と行っていました。これらは、組織ぐるみの犯罪行為です。
わたしは不思議でならないのですが、自分の会社がそういうごまかしをしていることを、社員は知っていたはずです。ところが、どこの会社からも内部告発はありませんでした。外務省の不祥事にしても、職員は知っていたはずなのに、暴露されるまでは黙っていました。彼らは、国民や消費者に迷惑をかけていることに対して、なんの罪悪感も感じなかったのでしょうか。
自分の勤めている会社が、消費者をだますようなことをしていれば『そんなことをしてはいけない』と止めるべきだし、『そんなことをするのであれば、この会社は辞めます』というのが普通でしょう。それが、まっとうな人間です。
でも、いまの社会では、逆に『そんなことをいう人間がおかしい』と思われてしまいます。それほどまでに、労働者が企業の飼い犬になっているのです。そして、平気で弱い者いじめをしたり、法律を破るようなことをしています。
(中略)
人間として幸せになるためには、悪いことをする企業の味方をしない、そういう会社には属さない。わが社だけが大事で、他はどうなってもいいというヤクザの集団のような意識を捨てることです。
わたしたちは、企業のために生きているのではありません。自分と家族の幸せのために働いているのであって、企業の奴隷や飼い犬ではない。一人一人が、そういう自覚を持つことが大事です。そのための規範となるものが、宗教であり道徳なのです。」
まさにこの通りですよね。利権のためには魂をも平気で売り渡す例を、この数年間いやというほど見てきましたね。
呆れるばかりのことが平然と行われてきたように思います。
大人の世界でのいじめがある限り、子供の学校でのいじめもなくならないでしょう。
ますます生きにくい世の中になってしまって、次期世代の人たちに対してどうしたらいいのか、途方に暮れるばかりです…。