今夜の月

こんにちは。

せき不動産です。

ひろさちや著「宗教なるほど練習問題」にこんなことが書かれていました。 

 「儒教の経典の一つである『礼記』には、

≪礼は庶人に下らず、刑は大夫にに上らず≫

といった言葉があります。(中略)

 だから、庶民に対しては、ゴミを落とすな、不倫をするな、盗みをするな、嘘をつくな、と教える必要はありません。ごみを落とせば罰金いくら、盗みをすればこれこれの罰、と決めておいて、それを適用すればいいのです。

 一方、支配階級に対しては、一切そういう「刑」は適用しません。「礼」だけが適用されます。だから、支配階級の者が不倫をすれば、その時は支配階級としての身分が剝奪されます。支配階級が嘘をついたり、賄賂を取ったりすれば、彼は自殺せねばなりません。それが本来の儒教の教えです。」

大事なことを言っていると思いませんか?

さらに続きます。

 「ところが、日本的に改変された儒教では、庶民に「礼」を守れと教えます。そして、支配階級が「礼」に反することをやっても、いっこうに「刑」を適用しません。これでは日本の庶民は完全に損をしています。

 にもかかわらず日本の庶民は、そういうわいきょくされた儒教を、

 ――ありがたい宗教――

 のように思って、後生大事に信奉しています。宗教でもなんでもない、たんなる御用イデオロギーにすぎないものを、まるで上等の宗教のように信じ込んで信仰しているのだから滑稽です。いや、腹が立ってきます。ここに宗教音痴の日本人のおめでたさが見られます。

 歪曲された日本版儒教の追放こそが、現代日本人の最大の課題ではないでしょうか……。」

(太字せき不動産)