南蒲田の延命地蔵さま

こんにちは。

せき不動産です。

陳舜臣の「中国任侠伝」には、こう書かれています。

「世界を揺りうごかすものは、

儒者(じゅしゃ)と侠者(きょうしゃ)。

儒者は文をもって法をみだし、侠者は武をもって禁を犯すから、という。

しかしながら、漢帝国が需を国教化して以来、儒者は体制の中に組み込まれた。

その後二千年ものあいだ、需は沢庵石のように、少しでもうごめこうとするものを、おさえつけ、締め付け、支配階層の人たちに奉仕してきた。

侠者だけが孤軍奮闘、この世界を揺すぶりつづけてきたのである。

需は静止の原理と変わったが、侠は依然として起動の引き金であった。

世界が動いてでもくれなければ、息がつまりそうで、どうにもたまらなくなると、人びとの心は熱っぽく侠者を慕うのである。

世相が傾斜しはじめると、侠者は目立ってくる。

ところで、任侠といえば、いわゆる任侠映画に登場するやくざを連想されるので、どうも工合がわるい。

侠者とは他人のために、自分の身をかえりみない者である」

こういう人は今の世の中にもいるでしょう。

「繋ぐ会」の鵜川さんもそのような人ではないか、と思えてなりません。

南蒲田の延命地蔵