こんにちは。
お元気ですか?
太平洋戦争終戦後に今の羽田空港の敷地内にあった三つの町がアメリカ軍に接収されたというのはご存知の方も多いでしょう。
羽田の三つの町の住民は、突然48時間以内の退去を命じられたのでした。
そしてアメリカの進駐軍に接収されたのは羽田だけではありませんでした。
戦争中は糀谷近辺もアメリカ軍の空襲を受けたのだそうです。
せき不動産のある西糀谷近辺も焼け野原になってしまいました。
そして終戦後、進駐軍がやってきて焼け残った土地を接収し、カマボコ兵舎を何棟も建てました。
今の西糀谷3丁目のちょうど糀谷中学校のあるあたりにもカマボコ兵舎があったようです。
アメリカ軍が撮った航空写真を見せてもらう機会がありました。
西糀谷のあたりは、真っ黒な焼け野原と広い敷地の中の兵舎が写っていました。
そして進駐軍は引き上げるときに地面を砂利で固めていったのだそうです。
それを元に戻すのがとても大変だったとか。
当時は重機などなく、すべて人力だったのですが、地面を元に戻さないと植木も植えられなかったのだそうです。
今は空襲を受けたことなんて想像もできませんが、西糀谷にもそんな時代があり、大変な時代を生き抜いてきた人たちがいたのです。
お話を聞かせてくださったTさん、ありがとうございました。