こんにちは。
お元気ですか?
7月に羽田イノベーションシティがオープンしたり、羽田空港の敷地内は再開発が進められていますが、以前はそこに三つの町があったことをご存じですか?
穴守稲荷神社があり、3000人ほどの人が住んでいたそうです。
海老取川の東側、いまの羽田空港の敷地内にはかつて「羽田江戸見町」「羽田穴守町」「羽田鈴木町」という三つの町があったそうです。
太平洋戦争終戦直後の昭和20年9月21日、突如GHQより住民に対して48時間以内の立ち退き命令が下されます。
最初は12時間以内の立ち退き命令でしたが、それを交渉の末48時間に延ばしてもらったのだそうです。
GHQに接収されたのです。
その時に穴守神社も移転を余儀なくされました。
住民が立ち退いた後GHQは家屋をブルドーザーで壊して元の飛行場を拡張し、米軍の航空基地を作りました。
その後羽田空港の敷地は日本に返還され今に至りますが、そこに大勢の人の生活があったなんてあまり知られていないかもしれません。
今の羽田空港の繁栄の陰には、こういう歴史があるんですね。